池田です。1年半ぶりに、式根島(しきねじま)に行ってきました。
式根島は、人口約465人の東京の離島です。
この島との関わりは、3年前のTOKYO ISLANDHOODでの出会いから始まりました。
当時の取り組みや背景については、東京離島区さんが丁寧にまとめてくださっているので、ぜひそちらもご覧いただければと思います。
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3年間、「実証」ではなく「実装」をやってきた
アイランドフッドでの関わりは1年度のみ(実質半年だけ)でしたが、その後も関係は途切れることなく、形を変えながらつながり続けてきました。
振り返るとこの3年間は、
「実証実験」ではなく、「実装」そのものだったと思います。
特別な予算があるわけでもないですし、きれいな設計図もなかったです。
だからこそ、目の前の現実に体当たりしながら、少しずつ理想を引き寄せていくような、そんな時間でした。
そこで問い続けてきたのは、3つのこと
この3年間、ずっと考え続けてきたのは、この3つで。
- どうすれば、学校の先生が心地よく島に往来できるか
- どうすれば、島の人たちが心地よく迎えられるか
- どうすれば、船会社や物流の負担を減らせるか
私たちは離島専門の引越し会社として、そのあいだに立ち続けてきました。
人と人のあいだ。島と本土のあいだ。そして、理想と現実のあいだ。
そのあいだをつなぎあわせて、想いを届けること。そこに物流会社としてのやりがいも強く感じてきました。
見えてきたのは「仕組み側の問題」
全国の離島で教員の赴任に関わる中で、ひとつ確信していることがあります。
それは、現場の工夫だけでは限界では、数年は持つかもしれないけれど、仕組み側から解かないとけない問題だということです。今っぽく言うと、「構造の問題」だということです。
- 内示のタイミングが年々おそくなる
- 情報開示が限定的
- 結果として物流が間に合わない
そのしわ寄せが、すべて教員や物流事業者にきている。
そして最終的には、
その個人の「頑張り」でなんとかしてしまっている。
思いのある人に、甘えすぎていないか
離島に来る先生方は、思いのある方の比率が高いと感じています。
だからこそ、その思いに甘えて、不便を押し付けてしまっていないか。
「昔からこうだから」
「島はこういうものだから」
その一言で片付けてしまっていいのか。
これは、現場にいるほど強く感じる問いです。
脱線:私のモチベーションは怒りかもしれないです。
私のモチベーションについて、式根島の方々に聞かれて内省したのは、怒りが根元にあるような気がしました。
「帰れないかもしれない」
その不安を抱えたまま生きることを、当たり前にしてしまっている社会の構造がある。
それを見過ごしていいのか。そんな、少し身勝手かもしれない正義感のようなものが、どうしても湧いてくる。
大学3年生のとき、神戸のフェリー会社でアルバイトをしていました。
ある夜、一本の訃報が届く。愛媛にいる親友の母親が急逝したという知らせでした。
身近な人の死に触れたのは、それが初めて。
その日は虫の知らせか、なぜか胸騒ぎがして、落ち着かない一日だったのを覚えている。
なんとか早退させてもらい、そのままバイト先が運営するフェリーに飛び乗りました。
なんとか間に合った。けれど、そのときずっと頭をよぎっていたのは、
「もし帰れなかったらどうしよう」という不安でした。
葬儀に向かう道中も、その感覚は消えなかったのです。
脱線終わり。
次にやるべきこと
だからこそ、ここからは一歩進めて、
離島教員の赴任に関する現実を、伊豆七島に限らず、日本中の離島に対応した形で
中長期のプロジェクトとして取り組んでいきたいと思っています。
- 教員の困りごとの可視化
- 経験や知見の蓄積
- 制度への提案
たとえば、
内示のタイミングを1週間でも早める。
それだけでも、現場は大きく変わるはずです。
最後に
式根島での取り組みは、まだまだ途中です。ただ、この3年間で、現場で起きていることへの解像度が私たちとしても高まってきました。
ここからは、それを構造にぶつけていくフェーズだと思っています。
もしこの領域に知見のある方がいらっしゃれば、ぜひいろいろ教えていただけると嬉しいです。
一緒に、この現実を前に進めていけたらと思っています。

PS.写真は、式根島小・中学校それぞれの校長先生と、副校長先生。そして、サポーターをとりまとめてくれるHANDYMAN前田さん。実際に当社の引越しの仕組みをご活用いただいてそのフィードバックをいただいたり。。先生、引越し会社、地元サポーター、お互いの現在地と理想を求めてがっつり対話させていただきました。

